学年題俳句1000詠講評 005 委員長 高校2年生

 
 委員長がどうして学年題で、そしてなぜ高校2年生なのか。ご存知の通りこれは学年題俳句の世界において長年の謎とされ数多の議論を生み出してきたわけだが、私が思うことに高校2年生とは学年題で扱う6年間において最も「乱れる時期」であり、よってその乱れを描出するための「真っ当の象徴」としての委員長なのではないか、ということだ。そういった観点から投稿された句を味わってゆきたい。
 

委員長ひとりっきりの委員会
  (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 乱れる学級において独り真っ当を貫く委員長は、どうしたってイジメの対象になることは避けられない。時にはハブられもするだろう。しかし委員がいてこその委員長なのだから、独りではアイデンティティをなくしてしまう。あるいは独りで開催する委員会では誰しもが委員長なのだという、小さな政府みたいな解釈も可能と言えば可能だ。小さな政府みたいな解釈っていうのはよく分からないけど。
 

毎時間メガネ壊れる委員長
  (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 委員長と言えばやはりメガネのイメージが強いわけだが、この委員長は毎時間それが壊れるという。イジメっ子に壊されるのかもしれないし、あるいは騒ぐクラスに向けて「静かにしろよ!」と自らのメガネを床に叩き付けるのかもしれない。まひろさんは「委員長メガネを谷へと投げ棄てる」という句も作っているので、おそらくはそちらが正解だ。委員長によるメガネ破壊行動には、委員長のシンボルとしてのメガネ、それを壊すことにより生まれる新世界、破壊と創造の神としてのメタファーという解釈もできないことはないと思う。破壊と創造の神としてのメタファーという解釈っていうのはよく分からないけど。
 

委員長あややの下敷き盗まれた
  (「Jeux interdits!」 ルネさん)

 
 ここでなんと新しい参加者の登場である。もうすぐ12歳だというルネさん。第2参加者であるまひろさんは16歳であり、中1から高3までの時期を扱う学年題俳句においてそのちょうど中間地点から、経験と展望の学年題俳句を作り上げるわけだが、ルネさんの場合は完全に学年題俳句で扱う年齢に突入していなく、よって作られる句はすべてが想像ということになる。それはある意味でファンタジーの様相を呈するのではないか。ここにルネさんの作風を理解したい。
 

委員長ブルマ復活唱えけり
委員長ブラジャー撤廃唱えけり
  (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 しかし委員長を定点として過渡期にある少女を描出するという手法である以上、2年生もそろそろ終わりに近づき受験のことを意識しなければなくなってくる状況において、徐々にその乱れが改善され落ち着いてきている少女から眺めると、いまだ変わらず同じ地点にいる委員長は次第に奇妙な存在になってくるのではないだろうか、逆に。委員長は変化しない。少女による委員長の見方が変化するのだ。ここにこそ高校2年生の学年題としての「委員長」、その神髄がある。
 

委員長ウエンツ瑛士にあこがれる
  (「Jeux interdits!」 ルネさん)

 
 だから委員長がウエンツ瑛士にあこがれるのも、成長し大人になった少女からすると信じられない。分からないのだ。分からない分からないよ君の気持ち。言い訳しちゃう君もかわいいね。でも本当は綺麗になりたいよね。それにしてもここでのウエンツ瑛士というセレクトがいい。触れなかったが先ほどのあややもそうだ。委員長って不意に「あややってかわいいよ」とか「ウエンツ瑛士っていいよね」とか言いそうだと思う。それでこちらはちょっとギョッとするのだ。なんだこれは。あるある俳句か。もうすぐ12歳ということは現在11歳だとして、それにしてはルネさんは驚嘆すべき観察眼の持ち主であると思う。
 

委員長日に日に増える痣タブー
  (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 そして遂にはまるでよく解らなくなった委員長を、我々は卒業まで見ないふりするほかなくなるのだと思う。数年後にばったり道端とかで会ったときになんとなく喋り、サラリと告げられた大学が新興宗教系の所だったりして、でも気付かないふりして「ふーん」とか頷きつつ、内心で長年の疑問が氷解してゆくのを僕は感じるのだった。雪解け水が小川を編んで、もうすぐ春がやってきます。