学年題俳句1000詠講評 006 疼き 中学3年生

 
 003「高鳴」(高校1年生)について、私は「精神と肉体の混在」、「経験がなく感情は未だに淡くも、物質的な衝動が否定できなくもある年頃」と表現をした。今回の「疼き」はそれよりも直接的な性を連想させる言葉だが、それなのに学年はひとつ下って中学3年生である。これは一見時系列が破綻しているように見える。しかし実はここにこそ今回の学年題を理解するためのポイントがある。すなわち「高鳴」が自覚的であるのに対し、「疼き」は無自覚的なのだ。高鳴っている高1の少女は恋愛感情すなわちセックス欲求を持っているが、疼いている中3の少女はと言えばそれを持っていない。持っているのかもしれないが、少なくとも気が付いていない。前者のように存在を認識しているということは、その対象を飼い馴らすまではいかなくとも、ある程度の距離感を把握しているということだ。だから「高鳴」はなんだかんだで関係が成立している(もちろん崩れる場合もある)。しかし「疼き」はそうではない。二次性徴の勃発とともににわかに溢れ出した野性のままの「疼き」を、中学3年生の少女に制御できるはずがないのである。つまり「疼き」とは、研磨して恋心と配合する前の「高鳴り」の素だ、とも考えられる。そのような認識で今回の投句を味わってゆきたい。
 

疼くとて我の手を取る無邪気さよ
  (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 puropepapiroさん)

  
 「疼き」の正体が分からない少女には性的感情がないがゆえに、危うい行為をこともなげにしてしまう、という句であろう。purope★papiro氏の持ち味として相変わらず題への理解はいい。しかし逆にそのせいか句が説明的すぎるきらいがある。下五の「無邪気さよ」が余計だ。ここは手を取ったあとの少女の様子を描けばいい。たとえば「疼くとて我の手を取る仏頂面」などとしたらツンデレの趣が出るだろう。私も含め、papiro氏の「学年題俳句1000詠」主催者と別人格による同一人物であるという気負いは理解できなくもないが、それを言い訳にしてはいけない。
 

バッ、バカァ! ないない! 疼いてなーい!
  (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 なにしろ胸の奥にひそむ無自覚的なものであるから、現実の中学3年生と「疼き」という言葉は、学年題に設定されるほどの深いつながりでありながら大きく乖離している、というおもしろい特性がある。パーフェクトな生徒会長と手がつけられない乱暴者の番長が実は二卵性の双子、というような。ゆえに強く否定もしよう。そしてこの否定は「疼き」という言葉のエロっぽさからも、中3というエロ耐性の低い年齢からも、高1の「高鳴」の比ではないはずだ。まひろさんは「高鳴」題において「バッ、バカァ! ないない! 高鳴ってなーい!」という句を作っていたので、ここでその度合の違いを表現できればさらによかったと思う。たとえば「バッ、バカァ! ないない! ないってばー! 疼いてなーい!」とするとか。
  

教室の9割方は疼いてる
  (「Jeux interdits!」 ルネさん)

 
 しかし無自覚であったり強い否定であったりしたところで、疼いている事実は曲げられない。100億年ぐらい前にビッグバンが起きたんだからしょうがない、中学3年生の少女は疼くのだ。もうすぐ12歳のルネさんの視線は、姉ほどの年齢の少女たちの生態をどこまでも冷静に見つめる。ここには容赦も愛情もない。まるで宇宙のようだ。
 

疼かんよ竹田のゴールには疼かん
  (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

あたしたち疼き中学3年生☆
  (「Jeux interdits!」 ルネさん)

 
 そしてここまで書いてきたことを考えれば、このふたつの句は明らかにおかしいということになろう。まずまひろさんの句は、中学3年生なのに「疼き」が自覚的になってしまっている。成長には個人差があるとは言え、まひろさんは「高鳴」の際に「体育は跳び箱だって高鳴っちゃう」という句を作っているのだから、これでは学年の違いを表現しきれていないと言わざるを得ない。まひろさんの実年齢である高1に引っ張られている。またルネさんの句も同じ理由でよくない。ここから受け取れる萌えは14ないし15歳の少女のそれではなく、14ないし15歳の少女の心情の働きについて未到達ゆえに誤解をしている12歳の少女としてのルネさんのそれだ。つまりこの二句はどちらも翻って自分たちの年齢の輝きを照射している。これは学年題俳句で対象とする年齢の最中にいたり、あるいはまだその年齢になってもいない作り手によく見られる現象(萌え光線逆照射現象)なのだが、これはどうか注意して作句してほしいと思う。
 

ほんとうは疼きってよくわかんない(。´・ω・)?
  (「Jeux interdits!」 ルネさん)

 
 今回の講評は割と厳しいものになってしまったが、これも講評サイトの役目であろう。「学年題俳句1000詠」活性化のためなら、私は喜んで憎まれ役を任じよう。