高校3年生の題は基本的に難しいが、この題は特にそうだろう。ただでさえ少女性の薄れた高校3年生だというのに、しかも色情をテーマに句を捻らなければならない。18歳の女の色情は、もはやリアルすぎて嫌悪感さえ生じかねない。しかしその一方で、近ごろ「non-no」を購読するようになって気が付いたこととしては、この女が大学生になると不思議とまた少女としての輝きを取り戻すのだ。思うにこれは高校3年生という立場が、少女を必要以上に女にさせているということだろう。なのでこの題では、「本当はまだ少女なのに女であることを余儀なくされている違和感」のようなものが表せればよかった。
色情を知らぬをとめに欲情し
(「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)
しかし今回papiro氏の句は、残念なことに「18歳の女」と「色情」というキーワードに完全にやられてしまっている。そんなの僕の句のテーマじゃないやい、とばかりにそれを詠むことを放棄した。
色情に気づきしかむや加奈の貌
(「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)
これもまた「大人の女になってゆくことを受け入れられない少女」ということで、正面からそれに向かっていっていない。この加奈はおそらく高校3年生ではない。2年生の3月くらいだ。これは題詠句作においてあまり感心できる手法ではない。
第4の色情被害者加奈っぺだ
(「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)
しかし心優しきまひろさんが被せたことにより、papiro氏の加奈の句はなんとか存在意義を保つ。まひろさんは現役の高校1年生の少女として、「色情」を得体の知れない侵略者と見立ててみせた。加奈君。
色情が野越え山越えわれめがけ
(「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)
おそらく少女たちにとって、「色情」は第二の初潮なのだ。やってくる時期に個人差がある。高校3年生が近付くに連れて、クラスメイトたちへ次々と「色情」は襲い掛かってくる。そしてやがては私自身へも。この句にあるのはそれへの嫌悪感ではない。諦観である。しょうがない、と達観している。本物の少女だからこそ詠める圧倒的なリアルがここにある。
SEVENTEENもれなく色情ついてます
(「Jeux interdits!」 ルネさん)
そしてその「色情」の使者としてまず少女たちの前に現れるのが「SEVENTEEN」だ。「SEVENTEEN」ほど「色情」に毒された雑誌はない。私などそのあまりの度合いに嫌悪感を抱き、「non-no」に乗り換えたほどだ。ちなみに「SEVENTEEN」は039で高校2年生の題として現れるのだが、この句の場合は仕方ない。「色情」のほうがあとに来ていることもあり、これは十分に「色情」の句である。
われもまた色情軍に降るとき
(「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)
色情の我は産物加奈悟り
(「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)
そして少女は「色情」の前に屈服する。あかんウチ、初Hの平均年齢を聞いて焦っとる……。男の子のアレのことを、夜に部屋で小一時間ばかり想像しとる……。だがこれは一種の催眠だ。まだ君は立派な宇宙飛行士なのに、もうすぐ制服を脱ぎ新しい世界に旅立つという焦燥が闇雲にエロを急がせているのだ。高校3年生はエロ急かされている。世に言うエロセカ現象、ウラシマ効果だ。そして秀吉のごとき少女たちは「女」という名の一夜城を築く。
色情という名の電車でキセルする
(「Jeux interdits!」 ルネさん)
そう、それは要するにそれはキセルのようなもの。規定の料金を支払っていないのに目的地へ着こうとしている。それが破綻したときどうなるかなんて考えていない。お金がないんじゃない。もったいないんだ。ウチ、制服を着ている間に好きな人に処女をあげたいんや。これってホントに悪いことなん? ねえ先生!