読了

 
 「俳句武者修行」 小沢昭一 朝日新聞社
 おもしろかった。特に結論部が非常におもしろかった。
 きちんとした結社に属さない著者が、いくつもの結社を渡り歩いて句会に参加し、俳句の修行をするというルポ。句会なので投じられた句に、それぞれの同人らと点を入れあったりするのだが、著者の句はほとんどの句会であんまり成績がよろしくないわけである。それがもう、どこの句会でもあんまりよろしくないわけだな。
 それで著者は最後にこういう結論を出すのである。 

 でも、それにしても、俳句の、よしとされる基準は……当然、あるラインは越えていなければならないとしても、その上での選択はアイマイではありませんか。いやアイマイと言っちゃいけない、幅がとても広いのです。
 俳句には、さまざまなとらえ方、感じ方、考え方があるものだと、今さらながら、しかと得心するのですね。
 思うに俳句という大樹は四方八方に枝を伸ばして、それぞれの枝が、それぞれ繁っているのでしょう。だから、どれかの枝の繁みで、その繁みなりに句を深めればいい。結社の先生がたは、みな一流を立てておいでで、お弟子さんもその先生流のもとで精進しておられる。それで正解なんですね。

 この結論はとてもいいと思う。すっきりした。
 どうりで僕はあんまり好きな俳人とかいないと思ったんだ。それでちょっと不安に思ったりしていたんだ。だけどなんだ、当然なんじゃないか。繁みが違うんだ。きっとぜんぜんすごく違う位置なんだ。もう繁みとかじゃなくて花粉とかなのかもしれない。僕は。だからやっぱり結社とかは属さなくていいんだと思う。だって人間関係とか苦手だし。人に評価されるのも嫌いだし。
 まあもっとも基盤という意味では結社とかに属したほうがいいんだろうと思う。トラックバックとかマラソンとかしたほうがいいんだろうと思う。あはは。