草々

 
 だとすれば、SEX特集を行なった『non-no』はもはや少女のための雑誌ではないということになるだろう。SEXのテクニックを教唆した時点で、それは少女ではなく女性のための雑誌なのだ。大人の女性の。
 こうして考えると、やはり時代は逆行しているのだと思う。近代以降になってせっかく誕生した、肉体はすでに性の体勢を整えつつも性とは切り離された地点に存在する「少女」だったのに、現代に至ってそれを作り上げていた性規範は崩れ去ってしまった。アメリカの欲望産業のせいだ。男は少女を抱きたがり、少女はマスコミに騙されて性へと走る。
 「それこそが現代的な自由なのであり、少女に貞節を強いることはそれこそ前時代的な差別思想に他ならない」? いやそんなことはない。そんなはずはない。人類社会の進歩がこんなのであっていいはずがないだろう。これが進歩であるとすれば、人類の行き先なんて高が知れている。これは後退だ。荒廃だ。
 しかし性の低年齢化は今後もどんどん進むに違いない。前にも言ったが、そのうち『SEVENTEEN』でも『nicola』でもSEX特集をするようになるだろう。それはまるで非現実的なことなどではない。僕にはそれがきわめてリアルに感じられる。
 だが『nicola』でSEX特集が組まれてしまったら、じゃあ少女という存在は一体どこにいるということになるのか。いや、どこにもいやしないのだ。少女は消滅してしまう。初潮を迎えれば即SEXをしても自然という世の中になって、近代以前と同じ、世界には子どもと大人しかいなくなってしまう。
 そしてこの流れを止める手立てなんて、なんにもないと思う。
 僕にできることと言えば、これから何十年か続く人生で、少女という存在が徐々に地上から消えてゆく様をじっと見つめ、それを創作に結び付けていくことだけだと思う。この哀しい時代に生きた人間だからこそ書けるテーマとしての「少女」を。