前略

 
 先生による先日(瑠衣ちゃんさ これお酒じゃない? 1・16)の結論、「少女がいなくなったわけではない。少女が少女としてSEXをするようになっただけだ」というものに違和感を覚えました。僕にはやはりSEXをした少女は少女ではない、と思えてなりません。
 こう言うと、先生はこう仰るかもしれませんね。「SEX経験の有無という観点から分類される女の子の呼称は、すでに確固とした定義の言葉として「処女」が存在するではないか」と。たしかにそれは事実です。そしてそのように考えると、SEXがどうこうという論点から「少女」という言葉を論じるのは間違いだということになるのかもしれません。SEXを中心にして語られるべきなのは処女か非処女かという話であり、少女とはやはり初潮を迎えてから成人するまでの期間にある女の子のこと、純粋にそれのことを指すのだと。
 でも先生、僕にはどうしても「少女」とSEX、これは分離されるべきだと思うんです。どう考えてもSEXをした少女は少女ではないと思うんです。誰がなんと言おうと。だって少女がSEXをするわけないじゃないですか。そして僕が指しているこの、SEXをしていない存在としての少女、これを「処女」と言い換えることは不可能だとも思うのです。「処女」は少女の一側面こそ表していますが、しかし僕の用いている「少女」という単語には、処女などという即物的な言葉には含まれない多くの要素を含まれているのです。
 すなわち「少女」は、処女という言葉を包含しているということではないでしょうか。少女という言葉の定義の中に処女という言葉が含まれるのだと思います。「処女とはSEXをしていない乙女である」そして「少女とは初潮を迎え成人するまでの処女である」と。
 こうして考えることによって、ふたたび少女はSEXから分離され、我々にとっての救いが見出せるのではないかと思います。少女とSEXの合体を感じさせた『non-no』ショックに負けず、これからもがんばってください。