学年題俳句1000詠講評 004 センパイ 中学2年生

 
 学年題俳句1000詠の100題の中には「せんぱい」がふたつある。ひとつはこの「004 センパイ 中学2年生」であり、もうひとつは「078 先輩 高校1年生」である。なのでこのふたつは、その表記と学年の違いを意識して句作しなければいけない。句作が78題目のそれに到達するのがいつの日かは知れないが、それでもだ。
 

センパイのズボン膨らむ午後のレク
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 まず考えたいこととして、中学2年生における「センパイ」ということは、その対象は中3である、ということだ。あるいは自分が1年生だった頃の3年生として、現在の高1という考え方もできなくはない。一方で078のそれの場合「先輩」は高2か高3ということになる。要するにこちらの「センパイ」の場合、「センパイ」もまた若いのだ、ということが言いたい。考えようによってはちょっとエッチなゲームを企画したレク係には、なんらかの責任があるのではないかということだ。
 

我がショーツ盗み被らんセンパイぞ
センパイが汗拭きたるや我がショーツ
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 またその一方で、056に高校2年生の題として「後輩」があるのだが、それとこの「センパイ」は、もしかすると視点こそ異なるものの同じ対象について述べているのかもしれないと思う。「後輩」が上級生の視点から冷静に、視野狭き怒涛の性欲に苛まれし15、6歳の少年を表現するものならば、「センパイ」はそんな少年のことを、作り手自身が解読できないまま幼い視点から表現するものなのではないか。よって「センパイ」は上記の句のごとき奇行に走る。高2ならば「少年の有り余る性欲」として落ち着いて句にできるだろうそれが、中2の少女においてはなにか、アクシデントのような風合いを醸すことだと思う。そこに性的な薫りは少ない。句の作り手によりひとつの世界は何通りにも変貌するのだ。
 

センパイのハンカチわたしのショーツくさい
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 中学3年生の少年は、どうしたって後輩の女の子のショーツを顔に当てずにはいられない。それは自然の摂理なのだが、しかし後輩の少女にとってそれは理解の範疇を超えていて、疑念にしかならない。またたとえそれが真実であったとしても、この句からにじみ出る彼女の心情としては、(どうやってセンパイの間違いを指摘すればいいかしら)という戸惑いでしかない。センパイもそれを分かって後輩のショーツを使っているわけだ。
 

センパーイ! もー! ちょっとはこっち向いてよー!
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 しかしそんなセンパイであっても、中学2年生の少女にとっては紛れもない上級生である。彼の胸中に吹き荒れる制御不可能な性欲の嵐になど気付かず、どこまでも頼りがいのある存在。しかしセンパイは基本的にただのエロくなり始めた少年なので、後輩との恋愛感情うんぬんよりも、バストやメイクなど分かりやすい性的魅力に溢れた、部活OBの先輩女性などにかまけることだと思う。先輩と彼女。スプラウト
 

センパイがまぶしく見やり山田優
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 なので当然こうもなろう。なにしろ山田優の去年の夏あたりのセックスアピールはひどかった。「日焼け止めジンジャーエール山田優が俺を惑わす目的は何」と歌に詠まれさえしたのだ。ちなみに詠んだのは当時22歳の私自身である。
 

センパイのメンタル面が心配だ
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 駅のホームで山田優のポスターを見つめるセンパイのその虚ろな表情に、ウブな後輩の少女もさすがに只ならぬものを感じつつあるのだろう。頼れる上級生というイメージでは支えきれない数々の証拠に対し、その外壁を作り上げていた表面の資材が剥離し、今にも瓦解しようとしているのが感じられる。
 

涙拭きセンパイ今日も笑いけり
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 しかし崩壊後に訪れる世界は決して悪いものではない。泣いているセンパイを見つめる少女は、もはや精神的にセンパイの上位に立っている。それでいいのだと思う。少女はこうして大人になって、太平洋のごとき優しい気持ちからセンパイに脱ぎたてのショーツをそっと手渡すのだろう。そしてセンパイはそれで涙を拭くと、やがて少しぎこちなく笑うのだと思う。