学年題俳句1000詠講評 003 高鳴 高校1年生

 
 高鳴りがなぜ高校1年生かと言えば、精神と肉体の混在、それがまさに高1であり、高鳴りであるからだろう。「恋焦がれ」(035)は中学2年生だし、「色情」(008)は高校3年生である。ちょうどその中間。経験がなく感情は未だに淡くも、物質的な衝動が否定できなくもある年頃。そこにあるものこそが高鳴りである。
 

高鳴らずそして高鳴るをとめかな
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 よってpapiro氏によるこの句は秀逸である。高鳴ってもいるし、高鳴っていなくもある。どちらでもありどちらでもない。少女期のピークかつ終息のはじまりである高校1年生の少女とは、もはやアンドロギュノスだ。ひとりの少女の中にあるその二者の、気ままな攪拌によって発生する、クラクラするほどに濃密な少女自身の薫香。
  

バッ、バカァ! ないない! 高鳴ってなーい!
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 そしてまひろさんは現役の高校1年生である。高鳴る自分を素直に認めることはなかなかに難しい。自分は両親のセックスによって生まれた。そのことをあれだけ嫌悪していた自分なのに、どうしてその自分までもがこんな気持ちを抱くようになるのか。抗えない大きな力に、必死になって抗う。
 

体育は跳び箱だって高鳴っちゃう
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 ところがその一方で、これほどしたたかに高鳴りのことを口にしたりもする。少女の中でなにかが変わりはじめようとしている証左である。と言うより高校1年生の少女の精神は、刻一刻と揺れ動いているのだ。このメトロノームの打つリズムはあまりにも速すぎて、優雅な演奏なんてとてもではないが不可能なのだ。
  

先輩のハート高鳴れボクみたく
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 そして自分がそれだけ苦しく高鳴っているのだから、それと同じものを自らが好意を抱いている先輩に求めるのも自然の摂理と言えるだろう。高鳴りという衝動を徐々に飼いならしつつある少女である。それに対し精神の成長の遅い男子のこと、先輩はもしかするとまだ後輩である少女の地点にまで行っていないかもしれない。その様子を見るにつけ、少女の高鳴りは強まる。斯様に女の子はどうしても男子よりたくさん高鳴るようになっている。
  

先輩の初めて目にし高鳴りぞ
   (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 しかし実際に先輩が高鳴ったとき、少女は気付かされる。女の子の高鳴りと男の高鳴りはまるで違うのだ。男の高鳴りの針は、女の子のそれみたいに振れない。だから放課後の体育倉庫でバスケ部の先輩のそそり立つ高鳴りを目の前にしたとき、少女の目には驚愕の色が現れ、さらに怯えつつも期待している自分の女性性に衝撃を受ける羽目になる。
  

高鳴りをそのまま詰めたペンケース
   (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 そんな驚きとか喜びとか哀しみとかを全部ペンケースに、シャーペンとかボールペンとかと一緒に突っ込んで、少女は期末試験を受けるのだと思う。