学年題俳句1000詠講評 001 ブラジャー 中学1年生

 
 つい先日「学年題俳句1000詠」というおもしろい企画をやっているサイトを発見したので、僕はあえて正規の参加者としてではなく(もっとも衝動を抑えられなくなったら後日ひっそりと参加するかもしれない)、そのサイトに投稿された俳句の講評をここに書くという形でこの企画を盛り上げていこうと思った。
 そもそも学年題俳句とはなにか、という話なのだが、これについてここで語る意義はない。なぜならばそれは当然のことながら、主催者のサイトに明記されているからだ。そちらで確認してほしい。
 それでは早速100あるお題のうち、「001 ブラジャー 中学1年生」に投稿されたものの中から、気になった句を拾って語っていきたい。
  

 ブラジャーしをとめは漢文問題集
    (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 ひらがなはその成り立ち上、女性的なイメージが濃厚にあり、柔らかさこそがその身上である。そしてそれはそのまま二次性徴においてふくらむ乳房の柔らかさであると言い換えることも可能だろう。乳房がふくらんでたおやかに変身しようとしている中学1年生の少女。ブラジャーだって着けてもちろん間もない。そんな彼女が授業において男性的な漢文の問題に取り組むということは、ある種のプレイと言えるのではないか。擬似的な性的イタズラと言ってもいい。
  

 ホックはブラジャーのじゃなくて
 女の子のはあとの止め具なんだよ
    (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

 
 まひろさんは北海道在住の現役高校生なのだそうだ。そのため彼女の作る学年題俳句は、生活と精神に密着した「リアル」に満ちている。もちろん言葉の選び方や置き方など稚拙な点も目につき、さらに言えばご覧のとおりこの「001 ブラジャー 中学1年生」において彼女は、「知らなかった」という理由により俳句の基本形としての575をまるで意識しない句作りをしたわけだが(もちろん次の題からは改善された)、それでも彼女の句には我々が既に失ってしまった現役としての「リアル」に満ちている。
  

 ブラジャーに慣れぬ生徒の深呼吸
    (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 ブラジャーを着けている位置とは、そのまま肺の位置とも言える。そのためいくら技術が進歩しているとは言え、未装着のときと較べ装着時がいくらか息苦しくなるのは避けられないことだろう。ましてや中学1年生の少女と言えばブラジャーを着けるようになってまだ日が浅いし、あるいはそれは上半身のほぼ全体を覆うスポーツブラかもしれない。だとすれば呼吸器系への影響はかなりのものとなるだろう。慣れればどうということもないことが、成長途上の少女にとっては困難となる。
 

 友だちのシャツ越しに
 乳首が見えた
 来月のバースデイプレゼントは
 ブラジャーに決定
    (「ホガラカノイロオゼ」 まひろさん)

  
 実体験なのであろう。この句を鑑賞する限り、まひろさんはブラジャーを着けるのが人と較べてわりと早かったように見受けられる。友だちが着用の必要に迫られようとしている事態において、彼女の精神は割合と落ち着いている。まるで上級生のような風格である。ただし穿った見方をするならば、中1当時のまひろさんはまだ自分の身体と、教科書に記載され実際クラスメイトの身にも起こりつつある二次性徴というものをまるで結び付けられていなかったのだ、とも受け取れると思う。それだからこその余裕。つまりこの句は「失われゆく無邪気」を詠んだものとも考えることができる。
 

 日曜日まゆかのブラジャー買い行かん
    (「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」 purope★papiroさん)

 
 「まゆかちゃんはヒモのパンツを持ってるって話っす」(玲)・「まゆかちゃんはお母さんが純粋な日本人じゃないんだよ」(蝶子)・「まゆかちゃんはもうセックスしたことあるんだって」(奈々)・「まゆかちゃんの背中には、赤っぽい大きな傷があるんだよ」(ひかる)・「まゆかちゃんはトイレであそこに薬を塗ってるんだよ」(千咲)・「まゆかちゃんは親戚のおじさんの足の裏を舐めたことがあるんだぜ」(優)・「まゆかちゃんはお父さんとお母さんがエッチなことをして生まれたんだって」(成実)・「まゆかちゃんのお母さんの作るカレーはものすごくまずいんですって」(理紗)・「まゆかちゃんはいとこのお兄さんにヌードを撮られたんだそうです」(結衣)
 まゆかにしあわせが舞い降りますように。