週刊どーなんだ

 
「小学校高学年から中学生くらいの年齢の女の子が、「父に体を触られて、それがすごく嫌で困っているんですが、一体どうしたらいいですか」といった内容のメッセージを、悩み相談などで訊いている風景というのをよく見るのですが、じゃあ逆に訊きたいんですけど、同世代の男子とのセックスには至らない、そういった年頃の少女たちの肉体の旨味というのは、父親という存在以外の一体だれが味わえばいいのでしょうか。なんど頭の中で思考実験しても、やはり父親という答えしか出てきません」
 
「よく性経験に焦る少女たちに対し、「あなたたちの体は、将来の旦那さんのものなのですから、彼のためにも大事に守っていなければなりません」などという注意の言葉が掛けられるわけですが、でも少女たちが性経験をはやろうとはやらまいと、「将来の旦那さん」に会うころには、そういった年頃の少女たち固有の肉体の魅力というのは、どちらにせよ失われているのではないでしょうか。きれいであるとか、まっさらであるとか、少女美を考えたとき問題になるのはそういったことではなく、大事なのは絶対的に時間という力から逃れられず朽ちる、その少女美なのではないでしょうか。だとすれば性にはやる少女たちを押し止めるのは、有効なことではないと思うのですがどうでしょうか」
 
「よく幼なじみの美少女(美大志望)が、交際している見習いカメラマンにヌードを撮影されていて、そのことを抗議したりすると、「あたしは芸術のために脱ぐの。あなたのみたいな、いやらしい目で見られることのほうがよほど心外だわ」などと言われるわけですが、そんなことを言えば僕なんて、いつだって頭の中で少女たちの肢体を、これでもかというくらいにこねくり回しているわけで、そう考えれば僕のほうが、そういった見習いカメラマンよりもよほど少女美に対し、破壊と再構築を繰り返し、真摯に芸術的に取り組んでいると思うのですが、どうして少女らは「芸術のため」にその身を提供してくれないのでしょうか。おかしいと思います。やっぱり「写真」とか「絵画」みたいな、分かりやすいアーティスティックさがないとダメなんでしょうか。「俳句」じゃダメでしょうか」