一題十句 「化粧・メイク(高2)」

 
 『non-no』でSEX特集がなされ、それは僕に多大なるショックを与え、「今後は『SEVENTEEN』や『nicola』でもSEXが堂々と語られるようになるのかなあ……」と暗澹たる気持ちにさせられたわけだが、現時点ではそれとまったくおなじ度合の気概で、『nicola』のメイク特集が許せない僕がいる。どう考えても早い。
 それでも百歩譲れば、高校生のミキホやコナンならば、まあ許せないこともないのだ。しかし中学生のレイやヒトミとなると、どうしても許すことができない。そのものがそれだけで計り知れない尊さを持つ中学生の肌になにかを塗るという必要性が、一体この世のどこにあるというのだ。どこにもありはしないだろう。そんなものは存在しないのだ。ティーンの女の子にSEXのテクニックが必要ないのと同じ程度で、中学生に化粧はまるで必要ない。
 もっとも冠婚葬祭だとか家族でいいとこへ行くときだとかに、ママのアドヴァイスを受けながら、お兄ちゃんにからかわれながら、ちょっと背伸びしちゃえ、エヘヘ、この日のために色つきのリップをパパに買ってもらってたんだもん、とかそういう感じのものなら、僕だってぜんぜん許可しようじゃないかと思う。中学生のお化粧っていうのはあくまでそういうものだ。決してプリを撮る前にゲーセンの床にしゃがみ込み、ハンドミラーでチェックしつつマスカラを塗る、とかそういうものじゃないはずなのだ。そんなの許さない。っていうか最近のプリクラはなんだ。あんな照明じゃ誰だってかわいく写るだろうという話だ。天界の風景のようじゃないかと思う。もはや写真や記録という役割を果たしていない。
 そんなわけで学年題俳句では「化粧」「メイク」は高2とする。お化粧は高2になってから。もっとも趣味を言わせてもらえば高2になってもする必要は決してない。女の子はそのままがいちばんです。
 
 化粧せんソフトボール部エースかな
 睫毛より嬌声あがる化粧かな
 放課後のをとめ汚るる化粧かな
 毛穴なきをとめの化粧不毛なり
 剥ぎ吸わんをとめの化粧グロスなぞ
 盗まれし美化委員長のメイク入れ
 妹らのパジャパ翌朝ノーメイク
 プリ前のメイクをとめらフォトショをや
 妹小5姉のメイクの実験台
 校則や透明グロスのメイクなり
 
 ひどい出来であると思う。川柳まがいのものも多いし。結局のところ僕はメイク反対派なのだな、と痛感する。化粧と少女が結合しての美意識などは持ち合わせていないのだ。だからそれをうまく17字にまとめることなどできようはずもない。
 ところで話は変わるのだが、よく電車内で化粧をする女性について苦言が呈されるが、僕はそれはぜんぜん構わないんじゃないかという立場だ。なぜならばこちらにはなんの迷惑もかからないからである。そんなことよりは座席で脚を組む男とか、喋りまくるオバさんとかのほうが、よほど迷惑であると思う。
 化粧について苦言を呈する人は、おそらく彼女らの羞恥心の欠如とかを憂っているのだろうが、そんなものは怒るにはあまりに観念的すぎる理由であると思う。その度合は時代環境によっていくらでも変化するのだから、対処のしようがないではないか。昔とくらべて変容してきた、ただそれだけの話ではないかと思う。マナーは迷惑がかかるか否かで分類すべきだと思う。もちろんその理屈で僕自身がどんな現象でも見過ごせるかと言えばそんなことはなく、たとえば僕はどんな状況であっても地べたに座る人間は許せないわけで、でもそういうのはやっぱりそれぞれなのだと思う。迷惑がかからない限りはイライラしながら看過するほかない事項なのだと思う。
 それに女の子が公共の場で化粧をすることに関連して密かに期待していることがひとつあり、それは今後ますます女の子から羞恥心というものが欠けていけば、僕らはこれまでの常識ならば見られなかった、女の子らのドキッとするようなシーンを目撃することができるのではないだろうかということである。
 たとえば先日、ちょっと春の兆しを感じはじめた折、駅のホームで電車を待っていたら女子高生の集団がやってきて、彼女らの何人かはスカートの下にジャージを穿くという例のスタイルだったのだが、これから街に繰り出すにあたりそれが気候的に相応しくないと察したのかその少女たちが、急に僕のすぐ側、その場でジャージを脱ぎだすという場面に遭遇した。もちろんそんなにまじまじと凝視できたわけでもないし、スカートもあるしということで、ショーツなんかは見出せなかったわけであるけれども、非常に衝撃的だったし、なによりラッキーだった。段ボールに入って忍びこむ前に、女子更衣室があっちからやってきた感じだ。もっとも僕がきちんと男として意識されていれば少女たちもあのような至近距離でそのような行為はしなかったかもしれず、そう考えると重く受け止めなければいけない面も大きいエピソードなのかもしれないが、しかしまあとりあえずは素直に嬉しかったわけである。もういいや。女の子が開けっ広げになってくれるのなら、僕は空気にだってなろうじゃないか。
 
 ジャージ脱ぎをとめらの春電車にて
 
 だから今後こういうことが増えるのだとしたら、いまの時代の流れも決して悪くないと思う。