詩ルベスタースタ論

 
 おいおい知らなかったのかよ、という話なのだけれど、都々逸っていうのは7・7・7・5なんだな。初めてきちんと知った。
 しかし7775。なんとなく不思議な感じのする句構成であると思う。
 僕の場合いちおう短詩作の導入は短歌ということになるのだろうが、そこから俳句(川柳)に行くのは違和感がなかった。なにぶん57577と575である。途中まで一緒。そのためここには互換性があるのだ。短歌を作ろうとして俳句になったり、俳句を作ろうとして短歌になったりすることさえある。そもそもスタイル形成の来歴を見ればこのふたつは親子みたいなものなのだから、これは当然と言えば当然である。
 しかし都々逸は違う。7775。構成がぜんぜん違う。
 なんか実際に作ってみようにも、都々逸の着想の取っ掛かりというものがまだ掴めない。なんとなくの感想で言うならば、777が起承で、5で転結なのだろうと思う。5の役割はきわめて大きい気がする。しかし判断できるのはそこまでで、完成品のイメージは湧いてこない。もっともまだ既成の作品にあまり触れていないというのは大いにありそうだ。
 短歌、漢詩、俳句といろいろ齧ってきて、それらはそれらとして非常に愉しいわけだが、都々逸は正式なるそれ自体が、エンターテイメント重視の発想で成立しているため、シンクロという意味ではいちばん僕のやりたいことに近い気がなんだかする。その点やっぱり漢詩なんかは、どうしても表現が固くなってしまうわけで(もっともだからこそ「逆にくだらない」わけだが)。