ジュブナイル

 
 24時間テレビを、ラストの20分ほどだけ観たのだけど、走り終えたアンガールズが(予想通り)どこまでも飄々としていたのが面白かった。山根なんか「こんな罰ゲームありえない」みたいなことさえ言っていた。ロックか。
 でも考えてみれば昨日の晩とか、くるくるドカンで思いっきり24時間テレビのパロディみたいなことをしていた。くりぃむしちゅー24時間テレビのメイン司会の一角なのに、である。
 そこから思ったのだけど、日テレの24時間テレビの製作サイドが本当に情熱を傾けて本気で番組を作っていたら、くりぃむしちゅーがそのようなことをするのは許されないことのはずだ。
 だとすれば実は24時間テレビっていうのは、視聴者のみならず、製作者側としてももう割と「きっつー」とか思いながら作っているのかもしれない。だからバカにされてもぜんぜん許せる。たしかに阿呆っぽいよねこのシステム、とか賛同しさえするのだ。寄付金がどんなに高額になろうと、ステージの上には百人を超える芸能人が立っているよね、それでいて企画参加の素人はボランティアの上に、きっとTシャツ購入が義務付けられてるよね、なんか「寄付金」っていう名目に税金のあれやこれやのきな臭いものを感じるよね、もういっそのこと「宗教法人24時間テレビ」にしちゃえば本当に税金が掛からなくなっていいよね、でも久本とか出てるし宗教にするのもそれはそれで問題が発生するよね、なんて製作者もやっぱり思ってるのかも知れない。
 じゃあ一体この番組に今でも本当に入れ込んでいる人物とは誰なのか、誰の情熱によりこの番組は成立するのかと考えたとき、やっぱりそこには徳光しか浮かばない。今年も徳光がナレーションをしながら番組が終了していた。でもその語りは、テレビで視聴する限りサライの合唱でほとんど掻き消えていたし、武道館ならば尚更に聴こえなかったと思う。マイクの音量しぼられてたんじゃないか。さすがにちょっとかわいそうだった。
 とは言え、徳光本人としてはそんなことは別にどうでもよかったんだろうとも同時に思う。聴こえるかどうかは問題じゃないんだと思う。自分の胸に響けばそれでいいんだ。きっと徳光は。だから徳光は今夜も美味しいビールを飲んで、長嶋に祈りを捧げ、そして安らかな眠りに就くのだろうと思う。
 そして徳光は眠りの世界で感動的な24時間テレビの夢を見るのだ。
 つまりドラえもんは本当にはいなくって、あれは植物状態の徳光が見ている、長い夢なんじゃないかと思う。