女子中学生コウコツ文字

 
『いちおう』
 
 女の子が自分の手の甲になにかメモをするとき、それが他人に見られたとき恥ずかしいと感じるような文面の場合、それは女の子本人にだけ分かる暗号として記されるというのは、これまで何度も言ってきたことで、今回のこれもすなわちそれの一種だと言えるだろう。
 そして「一種だと言えるだろう」と言えば、上のように考えた場合の女子中学生コウコツ文字というのは、一種のダイイングメッセージだと言えるのかもしれないと思う。高校1年生でその絶頂に至る少女期、その中に今まさに在る女子中学生たちの悲痛なる叫び、それこそが女子中学生コウコツ文字。成長という名の殺人犯に気付かれたらすぐに読めなくされてしまうから、自分と名探偵にしか分からないよう比類なき神々しい仕掛けを、少女たちは自らの肉体に施す。
 それを踏まえ、本日わが探偵事務所に届けられたのが、この『いちおう』である。
 普通に考えれば「生理用ナプキン」ということになるだろう。まだ今月は来ないと思うんだけど、ちょっと体温が高い気もするし、油断していて困ってもまずいし、『いちおう』カバンの中に忘れずに入れておくことにしよう、と。それがいちばん考えやすい。
 しかしこの推理には穴があり、すなわちそれが昨晩に書かれ、翌朝の自分へのメッセージなのだとしたら、一体なぜ少女はナプキンをあらかじめカバンに入れるということをしないのか、ということである。もちろん事情はいくらでもあるだろう。ナプキンのストックはトイレに設置してあり、寝るためにベッドに入ってから眠りに就くまで物思いに耽る中で「『いちおう』生理ナプキンを明日は学校に持っていこう」と考えるようになった少女にとり、トイレまで行きナプキンを取ってくることはあまりに億劫だったが、手を伸ばして学習机の上に転がっていたペンを取り、それで手の甲に、翌朝そのことをすっかり忘れ寝ぼけたままパパの前に現れてしまったときに見られても恥ずかしくない文面で、ただ『いちおう』と書くことはいかにも容易である、と。その場合はたしかに少女の手の甲には『いちおう』と書かれ、少女は朝に忘れずにナプキンをカバンに入れ、安心の中で授業を受けることだろう。古文教師の教科書を読み上げる、ベース音のような低い声音に聞き入っても、まるで心配することはない。よってミステリ的に考えるならばこの推理はたしかに成り立っている。説明のつくものはすべて行なわれる可能性がある。論理とはそういうものである。しかしそれが女子中学生コウコツ文字における推理にも通用するかと言えば決してそうではない。そこには論理だけではままならない別の機軸が存在する。
 すなわち電車の中でふと見かけた女子中学生の手の甲に『いちおう』と書かれていた場合、上の推理のようにあれこれこういう理由で少女はベッドから出るのが面倒で、これこれこういう理由でナプキンだったんだなあ、と考えるのではなく、果たして僕らの頭の中にいる女子中学生は夜のベッドの中で、明日の学校生活の中でもしかしたら来るかもしれない生理のことを憂い、しかしベッドから這い出るのは億劫だからメモで済まそうとするだろうか、と考え、するとそれは「女子中学生にとって生理とナプキンは最重要とも言える課題である」という僕らの脳内のそれとはいかにも乖離した少女像であり、要するに僕らにしあわせを運んでくれるコウコツ文字をその肉体に刻む女子中学生は、ベッドの中で明日の生理が不安になった場合は一目散にベッドから抜け出し、廊下でパパとぶつかってまでもトイレからナプキンを持ち出してはカバンの奥のほうに含まるだろうということである。だからこの推理は正解として相応しくないということになる。
 そこで名探偵が登場するのだが、さて、忘れてはならないのは『いちおう』という言葉のニュアンスであろう。これにはそのあとに続く言葉に対し、大手を振って賛成するのでは決してなく、若干の意にそぐわない要素もあるのだが、必要性などからまあやっておくこととしようと決定するような、そういう含みがあるだろう。つまり少女は自らコウコツ文字としたそれをすることについて、気は進んでいない。気は進んでいないのだが、忘れてはならないから記す。ここに強要のイメージが生まれる。少女は何者かにより何事かを強要されている。そして肝心のその事項とは、人に見られては恥ずかしいことである。
 そこまで考えることにより見えてくるのだ。うつむく少女から少し離れた位置に、少女と同じエンブレムの制服を着た男子生徒が、少女のほうを見ながらニヤニヤ嗤っていて、そして彼の右手がズボンのポケットの中に入るたびに、小さな叫び声を上げる少女の肢体が一瞬だけ跳ね上がった後、小刻みに震えるのを。少女のすぐ近くに立っている名探偵の鼻腔には、彼女の発する下半身の甘酸っぱい芳香までが届く。
 ここで一首。
 操作せん快速電車は白線の内側へまでも届きそう哉