プロッペッパッピローニ(王族の末裔)

 
 ……ここがおっさんの尊いところや。極限状態、つまりは人間としての究極的な願望やけどな、それを考えたとき、おっさんがお嬢ちゃんらにしてあげられることは、おっさんのファイナルファンタジーから吐き出されるポーションをお嬢ちゃんらの魔石に注ぎ込むというただそれだけでな、それは日常生活に換言すれば今ここでおっさんこうして四の五の言わんと、か弱きお嬢ちゃんの肢体をこの熱き両腕でかき擁けばいいだけの話いうことなんやで。世間ではそれのことをレイプなんて言いよるけどな。おかしいことに。どんだけおっさんがこの地球を破壊し続けるだけの資本主義人類社会において、高次元の思念を働かせとるか言う話やけどな。まあそれはええねん。言いたいのはな、おっさんとしてはおっさんの聖者的行為がどう思われようとレイプと裁かれようと、基本的にはどうでもええねんけど、ただしおっさんイタリア王家の血を引きつつイギリス育ちやけど、もうそろそろ日本の暮らしも短くないねん。そんで日本人的にこのことを考えたとき、おっさんの頭に一連のこの行為において行動を起こすんは果たしておっさんだけでええねんかないう疑問が起こりよるわな。なにしろおっさんだけが憂いて、おっさんだけが行動を起こしとるわ。たしかにそれは容易なことやで。自分だけがヒーローになるねんから十分な自己満足も得られるやろ。しかし共同体においてそういうのってどうなんかな、思うねん。日本人的思考をすればぜんぜんなしやな。欧米かよ言う話や。おっさん欧米出身やけどな。なにしろ日本では出る杭は打たれるんやで、まあ欧米でもなんだかんだでぜんぜん打たれるけどな。とにかくせやから、おっさんは慎ましやかな思慮深い日本在住者としてな、相手にも花を持たせるいうことを考えていきたいねん。擁かれるだけでは擁かれる乙女たちに立つ瀬がないやろ。従属は奉仕とちゃうで。奉仕は対等な関係にこそ発生するねんで。そこ勘違いしたらあかん。メモしとき。せやからそこをおっさんは救いよるねんな。メシアおっさんや。おっさんメシアや。どっちでもええわ。おっさんが完璧に場を操るんやなくてな、お嬢ちゃん側におっさんへ向けて恩返しをする隙間をあえて用意するねん。こうすることによってお嬢ちゃんは幸運をそのままに受け取る人間やなくなるっちゅう寸法や。乞食やないねん。イーブンイーブンやねん。千利休も言ってるわ。そんで、そこまで聞いてお嬢ちゃんはたと気付かされるわな。ようやっと見えてくるわな。ああそう言えば、あたしの目の前にはそそり立つラストエリクサーがあるじゃない、ってな……(つづく)