女子中学生コウコツ文字

 
『雑巾』
 
 ああこの子は学校の掃除のために家から雑巾を持ってこなければならないのだな、と思うのは簡単である。それはそれでいい。大学生になって感じることに、小学校や中学校で行なっていたあの教室掃除というものは、なかなかに素敵なイベントであった。男女混合の班とかで、当番制で、ほかの当番じゃない生徒とは下校の時間がズレたりとかしてさ。ああ、女子中学生の手の甲に書かれた『雑巾』の文字だけで、なんと胸に万感のノスタルジーが押し寄せてくることか。これぞコウコツ文字の効用である。ただしあるいはやはりいつものように、「これはこの被虐願望の強い少女が、車内の不特定多数の男どもに向かい、「どうか私を雑巾のように扱ってください」という意思をアピールしているということではないか」と考えることももちろん可能だ。だけど今回ここでコウコツ文字研究者たる僕が唱えたいのは、「『雑巾』は悪口としても用いられる場合がある」ということなのだ。つまりどういうことかと言えば、これは目の前にいるこの女の子本人の意志によって書かれたコウコツ文字ではなく、第三者の悪意によって書かれたものという可能性もあるのだ、ということだ。すなわちメモではなくイジメということだ。その場合これがコウコツ文字として特殊な部類に含まれるものであることは言うまでもない。なにしろ本人が書いていないわけだし、さらに言えば本人はむしろ自分の手の甲に記されたそのコウコツ文字を悲嘆してさえいるのだ(でも油性マジックなので消えないのである)。しかしコウコツ文字にはそういうケースのものも存在することを、我々は決して忘れてはならない。発掘された縄文時代の人の骨とかで時折、えらく拷問された形跡のあるやつとかがあったりするわけだが、要するにそんな感じだ。研究テーマがいつだって美しいとは限らないのである。だけど落ち込むことはない。研究なんて本来、明るい方向に進むものよりも暗い方向に進むもののほうが圧倒的に多いのである。数々の哀しみを生みながら、なおも人間は科学を研究せずにいられない。コウコツ文字も同じである。目の前の女の子が学校でイジメを受けていて、クラスメイトから手の甲に『雑巾』って書かれたっていいじゃないか。だってほら、イジメられっ子ってけっこう萌えるじゃないか。言いたいのはつまりそういうことなのだ。
 ここで都々逸を3句。
 忘れん坊の生徒の甲に 『雑巾』記してチャック下げ
 世にもめずらし右腕雑巾 擦る分だけ汚れゆく
 雑巾ゆすぐは咥内唾液 乳製品の腐れにて