どくしょ

 
 漢字学者3人が10時間鼎談している「漢字民族の決断」が、依然としておもしろい。
 今日読んだところの話題は、まさに僕が卒論において述べようとしていることかもしれない、「表意文字表音文字のメッセージ伝達の仕組みの違い」みたいなテーマで、すなわち表音文字(アルファベット)は純然たる記号だけれど、表意文字(漢字)にはそれぞれの文字が内包する固有の意味みたいなものがあるわけで、それが文字を解読する上で大きなヒントにもなりうるし、あるいはその一方で雑念にもつながるのではないか、というような話である。
 読んでいてこのくだりにはハッとした。ここで言われている「雑念」というのが、まさに僕が以前より、漢詩に惹かれている大きな要因なのであると思う。それこそが言ってみれば、詩としての情感みたいなものにも通じるはずなわけだし、ジョークにも通じる。その効果について表すのに、「雑念」という言葉は見事なまでに嵌まる。

「難解な漢字の羅列」→「読解」→「雑念」→「逆にくだらないジョーク」

 ほら。