エロティシズム俳句

 
 寒美人嬋娟として尿意あり   草城
 
 センケンとは、顔や姿が美しくあでやかであるさま、である。
 オチが意識された作品というのはいいと思う。どうしてもミステリを読んで育ったから、作品の最後には驚きのようなものを欲しがる癖がある。逆に言えば、そういう驚きをもたらさない作品になんの価値があるのか、という風にも思う。
 「すごい美人、ちょっと冷たいイメージがあるんだけど、とにかくすっごい美人。だけど実はおしっこしたくて仕方ない」というこの句のオチは、散文形式で前フリとかを丹念に描いてしまってはベタすぎてあまりおもしろくないと思う。
 句における「寒美人」「嬋娟」という単語のみでは、女性の姿はうっすらとしか浮かび上がらない。そしてそこがいいのだ。描写を100したら、ひとつの描写は全体の1%だけど、全体で3だけだったらひとつの持ち分は33%である。要するに密度の問題だ。だからこそこの句の場合、「尿意あり」が強烈に響くのだと思う。
 ようやく尿関係の記述ができた。