古今亭ツン生

 
 ツンデレの次になにが来るのかということを、昨晩ぱぴこさんと(パ)ピロートーク(ダサい)したのだけど、ぜんぜんおもしろい意見が出なかった。
 おもしろい意見が出たような気がしていたので、「おもしろい意見が出た」という話を書こうとしていたのだけど、今そのためにメモ帳を開いたら、半分以上眠りに就きながら書いたメモにはぜんぜんおもしろいことが書いてなかったので、泣く泣く方向転換だ。
 
 まず「ツン老い」と書いてある。ツンツンしているけど、その一方で老いていっている、ということだろうか。哀しいじゃないか。
 次に「ツン病」だ。ツンツンしているけど、実はなにかの病気なんだろう。救いがない。
 そのあと「ツン・ヨンハ」と書いてある。「パク」とびっくりするほど掛かっていない。まさに深夜。
 次は「ツンマネ」。これはたしかぱぴこさんの意見だ。「ツンツンしてるけど、それはフリ」ということだったと思う。しかしそれはほとんどツンデレだろうという気がする。
 次もぱぴこさんの意見だ。「ツンぞりかえる」。ダジャレだ。そしてダジャレのくせにこれがいちばん使い勝手がいい気がする。日常生活の中でも使えそうな気がする。
 最後に「ツン死に」と書いてある。ツンツンしたまま死ぬのか。それともいま流行りの「キュン死に」みたいな感じか。死にそうなくらいにツンツン。意味が解らない。
 
 (パ)ピロートークにして、期せずして四苦のうちの三つが挙がっている。ひどい。
 ここまで来たらどうせだから「ツン生」もやってしまえばどうかと思う。「あ、あんたのために生まれてあげたんじゃないからねっ」というこれはある意味で哲学的なツンツンであると思う。
 あるいはこの文章の題名にあるとおり、落語家かもしれないと思う。