和漢朗詠集を筆記してみよう

 
 62番「さくら花春加はれる年だにも人の心に飽かれやはする」まで。
 しかしここ、「閏三月」というグループの歌なのだけれども、非常にファンタジーであると思う。「帰渓歌鶯 更逗留於孤雲之路 辞林舞蝶 帰翩翻於一月之花」とか。
 要するに閏月とは太陽太陰暦のシステムの都合上、3年に1回ぐらいひと月を繰り返すことらしいが、それが暦の上で春に当たるからと言って、鶯は長く居て、蝶は帰ってくるなどと歌っているわけである。もちろんそんなことはない。暦は人間の都合である。言うまでもなく。
 しかし生まれた頃からなんの疑いもなく太陽暦に生きていると、そうでない暦で生きる世界というものの想像がつかないと思う。調節しなければだんだんとずれていく暦と現実の中で、昔の歌というのは詠まれたのだよな。感覚が分からん。そしてたまにひと月を繰り返して調節するって、実際にその中に生きていたらどんな感じなんだろう。