特許とろう

 
 今すごく勉学をやっているのだが、とてもおもしろい。新しいことがどんどん頭の中に入ってくる。まるで僕の頭はスポンジのようじゃないか、と我ながら思ったりする。
 しかし改めて考えてみると、「スポンジのよう」という比喩は果たしてどうなのだろうとも思う。これは言うまでもなく「スポンジが水をぐんぐんと吸収するごとく知識を吸収する」みたいな意味で使用しているわけだが、しかし前に狂牛病の症状で「脳がスポンジ状になってしまう」という表現があった。これはつまりスカスカということである。ダメじゃないか。
 しかもこれは経験則なのだけれども、前者の褒め言葉としてスポンジを捉えたとしても、「水をぐんぐんと吸収するスポンジは、水捌けもまたなかなか優れている」という性質があると思う。そう思って眺めてみると、なるほど冒頭で述べた「今すごく勉学をやっている」というその勉学は、ほとんど高校のときとかにやったものばかりである。捌けてる!
 なのでもう「スポンジのよう」という表現、これを褒め言葉とする用法は止めにしたほうがいいと思う。そしてこれからはその代わりとして、「吸収力がすごくてしかもこぼさない」という意味で、「生理用ナプキンのよう」とかと言ったほうがいいと思う。そのほうが多い日も安心できるし。
 さらに考えるならば、最近は受験の合格祈願としてキットカットやカールなど、お菓子類の語呂合わせ商品がブームなわけだが、そんなものよりも生理用ナプキンのほうがしっくり来るんじゃないかと思う。「羽根つき」という要素とかも「進学する=飛翔する」のイメージに合致する気がしないでもないし。
 あるいは生理用ナプキンを現在のお菓子がそうであるように「そのもの」として売り出すことなく、さすがにそれでは男子が買いにくいわけで、それじゃあお守りの中に入れて売るという工夫を施せばいいんじゃないかと思う。「ぐんぐん吸収して取りこぼさない、次のステップへ飛翔できる羽根つきの生理用ナプキン入りお守り」などとして。
 そうすれば、受験の緊張からか予想外に早く生理が来てしまった少女などが会場にいても、それを察した周りの男子生徒がそっとそのお守りを手渡してやれば大丈夫だ。美談である。
 なので僕はできることならば生理用ナプキンのような男になりたい。
 そしてこの文章を読んだ女の子は、月に一度それを使用する際、僕のことを頭の中にそっと思い浮かべて、そして装着してくれれば幸いである。